留学最終日
2008 / 07 / 27 ( Sun ) ついに最後の日が来てしまった。今日は荷物のパックと掃除をして、午後からスーツケースだけコペンハーゲン空港に持って行って預けて来た。これで明日は手荷物だけ持ってルンドを経つ事が出来る。スーツケースを預けた後はコペンハーゲンの少し北に行った所のルイジアナ美術館に行った。ここは現代アートの美術館でかなり評判がいいのだが、ついに訪れるチャンスがなく今日まできてしまった。海の見渡せるきれいな美術館で展示物の量もちょうど良く、天気も晴天でなかなかいい時間が過ごせた。美術館の後は何度も通ったコースだが、ヘルシンオアからヘルシンボリへフェリーで渡り、そこからは電車でルンドへ帰ってきた。この2日間とても天気が良く、最後の北欧のイメージはいいままで終わりそうである。
思えば2年前に来た日もちょうど夏で、夕方仕事が終わってから近所の植物園で散歩をして、なんてゆっくりした贅沢な時間なのだろうと思ったものだった。罪悪感すら覚えるような幸せな時間。ついにこの生活も今日で終わり。職場においても、ボスは自分のキャパシティのちょっと上の仕事をいいタイミングで与えてくれて、適度なストレスを感じながらも楽しく成長できたと思う。最後には英語で1時間のプレゼンテーションも何度か行うことが出来、来たときからは想像できない進歩。大発見をしたわけでもないが、それなりの成果は出たと思うので満足。ボスとはこれまでのデータで、2本の論文をこれから書こうという事になっている。最後の送別会はうちの庭でバーベキューパーティーを企画してみんなに来てもらい楽しんでもらうことも出来た。 色々な国の友達も親切にしてくれて、妻もルンド生活を楽しんで成長する事が出来たと思う。 2年間、歯の詰め物がとれた以外は健康で、事故にも泥棒にも遭わず無事に、ハッピーに過ごすことができた。 また、再来できることを願いながら、お世話になりました! ![]() |
ブダペスト動画
2008 / 07 / 03 ( Thu ) |
ブタペスト
2008 / 07 / 03 ( Thu ) |
アウシュビッツ
2008 / 06 / 14 ( Sat ) ![]() 今回の週末旅行はアウシュビッツ。Katowiceという町を朝出発し、マイクロバスに揺られる事約1時間。小さなバス停で、運転手さんに「ここだよ」と言われて降りた。どこが入り口かもまったく判らずうろうろしていると、英語のしゃべれる若者が偶然通りかかり、親切に入り口まで案内してくれた。この人は英語がたまたましゃべれたが、ポーランドではあまり英語が通じない。入り口前まで来ると、大きなツアーバスがいっぱい止まっており、観光客もたくさんいた。どうやらツアーで来る所らしい。 収容所の門をくぐってすぐには、のどかな雰囲気で歴史的な殺戮が行われた場所とは信じがたかった。ここを通って中に入ると生きて外に出られなかったという有名な門も、どこにでもありそうな門である。この門には「働けば自由になれる」というでたらめな標語が書いてある。 中に入ると囚人達の詰め込まれていた棟が並んでおり、その中にいろいろな展示がある。建物は粗末な作りではあるが、決して古くはない。ヨーロッパの町の中では新しい方である。ルンドの我が家の方がよっぽど古い。収容所の人々の過酷な生活、極度にやせ細った骸骨のような人、処刑の現場、絞首刑になった死体など見るに耐えない写真が沢山展示してある。有名な縦縞の囚人服も展示してある。どれもまだ色がしっかり残っており、博物館でよく見る昔の洋服とは違う。収容所に入ったときに囚人から取り上げられた鞄、靴、櫛、歯ブラシ、めがね、子供の人形などが品ごとにまとめられて、大量の山となっているのが展示されている。これもそれほど古くなく、生々しい。分類の仕方にドイツ人の几帳面さが現れているように思えた。そこまできっちりしていないと、組織としてあそこまでの事はできなかったのかもしれない。各囚人の記録も驚くほどきっちりとに記録として残されている。極めつけはガス室で殺された後に切り取られて、集められた女性の髪の毛。髪の毛が部屋いっぱいに山のように積まれている。とにかくこれらの数や量に圧倒される。限られた数のナチスの看守たちがこれだけ数多くの囚人をコントロールし得たという事も不思議だ。恐怖や人間の本能を巧みに利用してコントロールしたらしい。囚人の中にも意図的にヒエラルヒーがつくられ、寝床の大きさが違ったり、ワッペンの色が違ったりしていたらしい。ガス室で殺された大量の死体を処理するの囚人も居たとの事。驚くのはナチスの命令によりオーケストラが囚人の中に構成されていたという事である。 一番怖かったのは、 太陽も穏やかに照っている 日常とそれほど変らない雰囲気の場所で、それほど遠くない過去に、とても残虐な大量殺戮が行われたという事実である。大量虐殺という事実がとても近くに感じられた。今までのアウシュビッツの印象では、遠い昔のある国で行われた大量殺戮で、自分の人生とは遠い所で起きたとんでもない事、という認識であった。映画やテレビを通して見ていたためかもしれない。被害者になりうるという可能性ももちろん怖いが、 ひょんな事から、 人間もしくは人間により構成される組織が、それほどまでに残虐となりうるという事、将来も似た様な事が起きないとも言えないという事が非常に怖い。間違った歯車がどこでどう回り始め、どうやったらそれを止める事ができるのか。もしくは、過去に、勇気のある誰かがどこかの時点でヒットラーの暴走を止め得る事が出来たのか。それともヒットラーでなくても他の人が同じ様な事をしたのか。アメリカが日本に落とした2つの原爆も大量殺人という意味では似た部分もあるが、それでも日本人はアメリカ好きなのはなぜなのか。いろいろ考えさせられた。 アウシュビッツには子供達も沢山見学に来ていた。ポーランドでは都市ワルシャワを離れ、ちょっと田舎に行くとアジア人はあまり居ないらしい。そのため子供達に目を丸くして凝視される事が多かった。時には一緒に居る親に耳打ちをしながら指を指している子もいた。ポーランドの子供はなかなか整った顔だが、ぽっちゃりしているのでかわいらしい子が多い。好奇の目でみつつも、こちらが微笑みかけると微笑み返す子もいる。こんな子供達もガス室で殺されていたのかと思うと恐ろしい。 飛行機で1時間行っただけで別世界、別の文化にめぐり会えた旅だった。 |
ワルシャワ(ポーランド)
2008 / 05 / 15 ( Thu ) 先週末はワルシャワに行って来た。金曜日の仕事が終わってから、夕方6時に家を出た。コペンハーゲンから夜9時の飛行機で離陸。まだ外が明るいので得した気分。楽々、夜の10時半頃にワルシャワの空港ホテルに到着。翌日朝から市内観光。ワルシャワの町は第2次世界大戦でほとんど壊されたので、新しい建物ばかり。高層ビルも結構あり、どちらかというと日本を思い出させるような風景。観光のメインは旧市街。ここはあえて壊される前の古い状態を復元した町並み。どうしても本物の雰囲気とはちょっと違う。何がどう違うのかはっきり判らないが、とにかくテーマパークのような印象を受けた。夜はショパンのピアノコンサート。これは公園の中の宮殿の1室で行われるもの。20人くらいの観客で近所の音大の教授が出演。ぽっちゃりしたおばさんの教授で、見た目から女性ホルモンが豊富な印象であった。演奏も女性っぽい演奏であった。
翌日、日曜はショパンの生家に行った。そして夜には飛行機で帰って来た。 ワルシャワでは英語はあまり通じないが、通じないなりに何とかしゃべっていると、通りがかりの英語のしゃべれる人が通訳をしてくれたりと、何とかなる事が多かった。週末に海外旅行ができるというのがすばらしい。でも、これもあと数ヶ月。 ![]() ![]() ![]() ![]() |









